ビジョン
理念
私たちはイエス・キリストの血潮と十字架と聖霊様中心の教会です。 33年前、坪井永人牧師によって開拓伝道がはじめられた当初から、私たちキリ スト愛の福音教会は、十字架と聖霊充満を掲げ、五重の福音を大切にしてきまし た。 すでに皆さんご存知のように「五重の福音」礼拝は賛美で始まります。 賛美は「自分が、自分が」ではなく「神様こそ素晴らしいです」と表現し、こ のお方に栄光をお返しするマインドです。 続けて①十字架②聖霊充満③癒し・健康④祝福・繁栄⑤再臨・天国と辿ってい きます。 これは、観念的(頭の中だけ)な信仰ではなく、日々の生活の中で現れる実用 的な信仰です。 十字架による罪の赦しがなければ、死と裁きを恐れて生きなければなりません。 聖霊様の満たしがなければ、自由闊達に神様の次元を楽しめません。癒しと祝福 がなければ、病気や問題に振り回されてばかりです。再臨がなければ、地上の生 き方だけがすべてになります。
「まことに、まことに、あなたに告げます。 人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることができません。」 (新約聖書・ヨハネ福音書3:5)
「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、 人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、 またあなたがたが心の霊において新しくされ、 真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、 新しい人を身に着るべきことでした。」 (新約聖書・エペソ人への手紙4:22~24)
そのような信仰の基礎(私たちが何者であるか)が築かれて後、私たちは信仰 において霊的に成長し、さらにクリスチャン(キリストにある者)として実践的 な生き方が定められます。 整理すると次のようになります。
・信仰の基礎(私たちが何者であるか/Being)=五重の福音
・信仰の成長(霊的ボトム・アップ)=ディボーションとセル・グループ
・信仰の実践(私たちが何をするか/Doing)=天に触れ、地を変える
「霊的ボトム・アップ」のためには、一人で聖書を開き、神の御言葉を通じて 動機づけられることが肝要です。直接神様と対話し、御声を聴き、従順する、と いう習慣が毎日続くことで必ず霊的成長を遂げることができます。 そして、いつも表現するように兄弟姉妹が(a)礼拝(b)弟子化(c)祈り(d)交わり (e)奉仕(f)伝道 という6つのポイントで成熟していってほしいと強く願います。 「セル・グループ」はその個々人の成長のために必須の“場”です。単に新し い家庭集会や伝道所を組織するのではなく、一人のリーダーを中心に先の6ポイ ントを相互補完的に建て上げる教会内の小さいユニットです。そして、有機的な (命のない冷たい“物体”ではなく)人と人の関係(リレーションシップ)です。 このセル・グループを基礎として、共に(a)礼拝者として整えられ(b)弟子とし て従い(c)祈りの勇者となり(d)愛の交わりを絶やさず(e)奉仕者として世に仕え (f)伝道者として遣わされていきます。 そんなセル・グループが市内、県内に無数に建て上げられ福島のどこを切り取 っても「キリスト愛の福音教会」が現れるようなビジョンを共に描いていただき たいと強く願います。
今日までの歩みと現在の役割
私たちの教会は預言によって導かれてきた教会です。 「駅前に教会を建てる」 これは、先任者である坪井永人牧師に与えられた預言です。 過去永人師が専務として経営していた坪井木材が倒産して後、牧師となった永 人師に結婚式ビジネスの話が複数舞いこみました。 「専務、結婚式場たてますから、司式してください。建物を教会で使用しても いいです」 いい話です。 しかし、場所が“駅前”ではありません。 2~3人から同様の話が持ち込まれましたが、“駅前教会”という預言に照ら してすべて断りました。 ――じゃあ、神様が備えておられる教会の場所はどこだろう?―― 祈りながら、郡山駅周辺を歩き、導きを求めていました。 祈り、歩きながら、昔なじみのパン屋兼喫茶店に入りました。 席についてコーヒーを飲んでいた時、パン屋のオーナーが言いました。 「坪井さん、この店、閉めるんだけど、誰か借りる人いないかね?」 即座に、永人師が答えたそうです。 「俺、借りる!」 この一言で、駅前教会としてスタートしたのが現在の中町会堂です。 その後、方八町時代を経て2009 年から再度中町に教会堂を構え、現在に至り ます。 この間、私たちの教会は二つの大きな預言を受け、導かれてきました。 一つは、カナダ・トロントにあるラインハルト・ボンケ師の宣教事務所で奉仕 する牧師から与えられた預言です。 「コオリヤマ、コオリヤマ、コオリヤマ。サタンノオオキナハタラキ。リバイ バル、リバイバル、リバイバル」 福島出身で宣教師訓練センター(MTC)を卒業したスタッフがその宣教事務所に おり、聞いて驚き、この預言を奥山師に伝えました。 「日本語を知らない牧師が郡山リバイバルの預言をされました!」 1999年6月のことでした。
後に「保証として、イザヤ書45 章を読みなさい」と預言されたことも伝えら れました。 続けて、2001年――。 「日本に二本の火柱が見える。それは東北に。そしてそれは郡山。」 アメリカで複数の牧師から預言があったことが伝えられました。 私たちの教会はこれらの預言によって動機づけられ、「リバイバル」を追い求 めてきました。 リバイバル。それは、神様の主権的な働きです。 リバイバル。それは、聖霊様の圧倒的な臨在の現れです。 リバイバル。それは、人々が悔い改め、多くの魂が救われることです。 リバイバル。それは、地域社会に変革(トランスフォーメーション)をもたらし ます。 預言が与えられてから、私たちは「実を結ばない現実」を突きつけられながら も、忍耐に忍耐を重ね、「リバイバル」を求め続けてきました。 方八町時代~再・中町時代。そして、主任牧師の交代。 教会の在りようが変わり、発展より衰退が目立つ実情を重ねていました。 そんな最中、2011 年3月11日、東日本大震災発災――。 「実を結ばない現実」に耐えられないほど追いつめられ、「もはや打つ手なし」、 「あとは殉教以外、リバイバルの道はない」と思われていた矢先の震災でした。 地震、津波、放射能、風評被害という四重苦のど真ん中に立たされました。 とっさに「これで死ねる!」と心に喜びが湧き上がりました。 震災翌日から被災者支援に踏み出し、3 年半(2014 年10 月現在)、働きの概要 は変われど、沿岸部への物資搬送、避難所への物資支援・炊き出し、仮設住宅訪 問(コーヒー・サービス、ハンドマッサージ、賛美コンサートなど)、チャイル ドライン開設、放射能問題シンポジューム開催、各種ボランティア会議出席、Hope Fukushima 開催、そしてFUKUSHIMA いのちの水プロジェクトなどなど携わり、展 開してきました。 まさに教会挙げて、死に物狂いの働きに邁進してきました。 25 周年を迎えた今年(2014 年)、私たちの教会は再び「預言」によって導かれ つつあります。 それも、預言を受けるのではなく、預言するミニストリー(神様の働き)に導 かれています。 前後して、新しい魂が救われてきています。 「まだまだこれから!」と言い聞かせながら、しかし間違いなく新しいムーブ メントが教会内部に起きています。 私たちは「天に触れ、地を変える」教会です。 聖書を土台とし、あらゆる立場の教会を超越したスタイルを描いています。 「天に触れ、地を変える」教会だからです。
第 Ⅰ 設 立 開 拓 以 前 | 中 町 時 代 |
西暦 | 出来事 |
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1984 | 坪井永人牧師 聖霊のバプテスマ | |
1986 | 坪井永人牧師 アジア教会成長神学院(ACGI)入学 | |
1989 | 坪井永人牧師 アジア教会成長神学院(ACGI)卒業 | |
1989 | 郡山市安積町にて開拓伝道開始(牧師:坪井永人、教師:渡辺隆夫) | |
1990 | 教会堂 郡山市中町移転 | |
1991 | 渡辺隆夫師 牧師按手・渡辺隆夫牧師昇天 | |
1992 | 坪井永光牧師 同志社大学神学部入学 | |
1995 | 坪井永光牧師 同志社大学大学院神学研究科入学(学部から飛び級) | |
1997 | 坪井永光牧師 同志社大学大学院神学研究科卒業 | |
1999 | 坪井永人牧師 純福音福島キリスト教会(福島断食祈祷院)兼牧開始 坪井永光牧師 副牧師就任 「世界宣教会議・京都」参加 |
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2001 | 映画『親分はイエス様』上映会開催 (映画『親分はイエス様』実行委員会事務局として奉仕) |
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第 Ⅱ 方 八 町 時 代 |
2002 | 教会堂 郡山市方八町移転 チャペル・コンサート開始 |
2003 | チャペル・コンサート(ヴァレンタイン・聖金曜日・サマーコンサート・クリスマス他) | |
2004 | グレース・オー・ピアノコンサート(於:ホテルはまつ 出演:グレース・オー、恵言紀) 世界宣教センター発足 ワールドリンクユニバーシティー(WLU)開校 エンジェル・クワイアー・コンサート(出演:ロシア・エンジェル・クワイアー、恵言紀) 霊的癒し実践セミナー開催(於:三春まほら 講師:奥山実師) 癒しの音楽会開催(於:三春まほら 出演:向日かおり、恵言紀) | |
2005 | サマー・キャンプ開催(於:三春の里 講師:スティーブ・ケーラー師、奥山実師) | |
2006 | ファンタジーセミナー『ナルニア国の舞台裏』開催(講師:坪井永光師) | |
2007 | 聖霊宣教大会 恵言紀出演 (於:川口リリア 講師:ヴニヤニ・ナカウヤサ師、ブラザー・ユン師) 東日本コーチングセミナー開催(於:ユラックス熱海) (講師:ヒシャム・カメル師、キム・ギョンフン師、奥山実師 出演:秋山雪美) ラブソナタ・仙台 参加 | |
第 Ⅲ 再 中 町 時 代 |
2009 | 教会堂中町移転 20周年記念DVD作成 坪井永光牧師 主任牧師就任 |
2010 | エジンバラ宣教100周年記念大会・東京開催 (於:中野サンプラザ 国際部運営事務局として奉仕) 有賀喜一師伝道礼拝、霊の戦いセミナー 東北リバイバルミッション 参加(於:名取) ラブレボリューション開催(於:クラブ#9) | |
2011 | 東日本大震災発災 被災者支援開始(災害支援緊急援助隊・・・アガペーCGN・・・福島県支部として奉仕 FUKUSHIMAいのちの水プロジェクト開始 NPO法人格取得 | |
2013 | HopeFukushima開催(於:郡山女子大記念講堂 協力教会として奉仕) | |
2014 | 25周年記念カレンダー作成 Asiahコンサート(於:cafe Level 0) 夏のキャンプ(於:大玉村 アットホームおおたま) 25周年記念誌発行 |
時代ごとのレポート
■開拓初期~中町時代「今、生ける神・聖霊様」
1989 年4月、私たちの教会は郡山市安積町で産声をあげました。 当時、坪井永人牧師44歳。「ゼロからのスタート」とはよく言われる言葉です が、数年前、経営していた会社の倒産で30 億円余りの負債(個人の借財3億円) を抱え、「マイナスからのスタート」でした。 場所は郡山市安積町。坪井牧師と渡辺牧師の自宅がある敷地内にあった空き家 を借り、教会としてスタートしました。 平日は、そこで託児所や学習塾をして生計を立て、週末には、子どもの礼拝、 大人の礼拝、食事会、交わりなど、こぢんまりとしながら和気あいあいとした開 拓教会でした。 「今日までの歩み」の項で記したとおり、ほどなくしてそこから中町に移りま す。預言に導かれてのことでした。 相前後して私(坪井永光)が聖霊のバプテスマを受けます。 永人牧師が小田原厚生年金会館で「天井が割れて、光が自分の上にドーンと降 ってきた」と証をしていた同じ経験です。現れの仕方は違いますが、質において は同じ「一方的な傾注」です。 当時、私は高校二年生で、受験勉強のストレスで気が変になりそうな時でした。 私が神経をピリピリさせていた一方、永人師はことあるごとに喜びをもって聖霊 のバプテスマの証しをしていました。 「私の召しは今生きておられる神、聖霊様を証すること。だから、生涯かけて 私は一つの説教題しか持たない。それは『今、生きておられる神、聖霊様』」と 繰り返し語っていたことが忘れられません。 ――神様は、確かに生きておられるんだ……、と確信する一方、自分に経験が ないギャップとの間にコンプレックスを感じながら過ごす日々でした。そんな折、 あらゆる価値観を吹き飛ばす聖霊のバプテスマの経験が私を襲います。今でもそ の時のことを思い起こすと涙があふれます(*詳細は紙幅の都合で割愛)。 聖霊様の実存が私たちの教会の特徴であり、「あなたを愛しています」という ストレートなメッセージとたくさんの花々で彩られた“花の教会”として街を祝 福する使命を抱き、活動を続けていました。 内部的には「リバイバルは礼拝の数に比例する」とテーマを掲げ、日曜の聖日礼拝以外にも数多くの家庭礼拝を捧げていました。 他方、共同で開拓伝道を進めてきた渡辺隆夫牧師の召天。肝臓がんを患い、4 3歳という若さで主の許に召されていきました。「ここは天国」という言葉を遺 して――。 死は怖くない。 私たちの教会のDNA に刻まれた瞬間でした。 悲しみに暮れながらも、死に対する勝利を掲げ、喜びながら宣教する私たちは すでに「伝説の教会」でした。 「一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、 もし死ねば、豊かな実を結びます。」(新約聖書・ヨハネ福音書12:24) その後、聖書の言葉さながらに若い魂が救われました。 平栗恵美伝道師をはじめ、献身者が育まれたのもこの時期です。 教会内部で救われた人々の献身、福島断食祈祷院および純福音福島キリスト教 会の再開拓、他地域から導かれてきた若者の献身――。 時を同じくして、奥山師との出会いも与えられ、三春クリスチャンタウン建設 に向けた歩み出しが始まりました。
■方八町時代「礼拝はコンサートのごとく。コンサートは礼拝のごとく」
2002 年11 月、郡山駅東口からほど近い元家具屋の倉庫を借りて会堂としまし た。中町の会堂からすると4倍ほどの規模となり、コンサート伝道、新潟礼拝、 仙台礼拝、はっちゃけワーシップ、平田村伝道、世界宣教センター設立、ワール ドリンク・ユニバーシティー開校、奥山実アワー撮影など精力的に取り組みまし た。中町時代から継続してきた福島礼拝、白河礼拝、インターネット伝道とあい まってこの時代はできうる限りの可能性に挑戦した時代と言えます。聖日の礼拝 出席も常時50名を越えて人々が集い、十字架信仰の確立とIT 宣教の充実に努め ました。 会堂に隣接する建物を世界宣教センタービルとして活用し、献身者たちが共同 生活しながら奉仕する「使徒の働き」的教会としての特徴を持ちました。 他方、多くの施設を抱えたため、経済的に困難を極めたことや働きの拡大で整 合性の維持に困難を得たことも事実です。これらの経緯を通し、教会を離れる者 も続出しました。
■再・中町時代「震災を経て、新たな霊的次元へ」
方八町時代に拡大した働きをいったん縮小するため、2009 年に再度中町の会堂 へ移転し、徐々に現今の体制へと変容していきました。 同時にエジンバラ宣教100周年東京大会(2010年)に注力するため、東京事務所 の開設、CGNTVへの事業協力などに取り組みました。 主任牧師交代もこの時期です。約20 年、当教会を導いてきた永人師が世界宣 教センター牧師となり、キリスト愛の福音教会主任牧師を坪井永光が引き継ぐと いう変遷がなされました。 そして、2011 年3月、東日本大震災発災。 地震、津波、原発事故という未曽有の大災害の渦中に置かれた私たちの教会は、 従来の伝道牧会に加え、被災者支援を担い、避難所への物資配給、炊き出し、そ してFUKUSHIMAいのちの水プロジェクトを開始します。郡山市のみならず福島県 全域をミッション・フィールドと定め、人々のため、とりわけ子どもたちのため に粉骨砕身ホリスティック(全人的)な救済に勤しんできました。 現在は、教会を超越するようにしてNPO 法人・FUKUSHIMA いのちの水を含めた 世界宣教センター機能が郡山市西部に位置する多田野に移転。県内はもとより全 国規模の宣教拠点としての役割を果たそうとしています。 地方教会としては牧師と少数のスタッフの合議制で運営され、毎日のミーティ ング等を通じた理念の確認を基礎にして、積み重ねを続けるという時間のかかる 歩みを展開し、現在に至ります。
前項の歴史を踏まえ、「教会の未来を考える」ことは、私たちにとって最重要 課題です。 「理念」の中でも触れたとおり、現在私たちが大事にしていることは一人一人 の「霊的ボトム・アップ」であり、とりもなおさず「教会とは人」であることを 示しています。 「教会の未来」と言う時もそれは「あなたの未来」と言い換え可能な言葉です。 間違っても人間本位な「あなたの未来」ではなく、聖書に基礎づけられた「あな たの未来」です。 聖書は明らかに教会をテーマとして書かれ、教会とは主の花嫁であることが霊 示されています。 「神は私たちを世界の基の置かれる前から彼にあって選び、御前で聖く、傷の ない者にしようとされました。」(新約聖書・エペソ人への手紙1:4) 「ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないも のとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。 (中略) 『それゆえ、人は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となる。』 この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」 (新約聖書・エペソ人への手紙5:27~32) 世の終わりに至るまで私たちは「主の花嫁」として整えられ続けます。いわば、 私たちの地上での歩みは「花嫁修業」です。 花嫁修業ですから、自分らしく美しく、しかし花婿の望みに応えようと精一杯 努力することは至極当然です。 先述の理念(第Ⅱ章)は、そのようなゴールから翻って掲げました。 この章では重複して理念を掲げることを避け、その努力の方向性を違った角度 からまとめます。
上記の表は奥山実師がたびたび引用するジョン・ストット(John Robert Walmsley Stott, 1921・011)の宣教理論ですが、鮮やかなシンメトリーを描いてウ います。広義の「宣教(A)1」に「伝道」および「社会的責任」が含まれ、「伝道」 に狭義の「宣教(B)2」および「弟子化」が、「社会的責任」に「社会活動3」およ び「社会的行為4」が含まれます。これは、全てのクリスチャンおよび教会が宣教 の使命として果たすべき聖書的モデルです。 実のところ、一人のクリスチャンや一教会が全部を担うことは現実的ではない ですが、少なくとも全体を視野に入れながら「主の教会」として歩みを進めてい くことを大切にとらえています。 私たちは間違いなく、歴史のはざまに生きています。東日本大震災を契機に、 放射能問題と向き合い、「福島はまだらだ」と感じるに至っています。「福島」と ひとくくりにすることができない、重層的かつ複雑化した課題が私たちの住む福 島にはあります。 「水道水を飲んでも大丈夫?」、「将来、病気になったら、誰が面倒見てくれる の?」、「子どもが障害持って生まれてきたらどうしよう?」、「どうせ、動物実験 の材料だから、まじめに生きてもしょうがない」、「除染さえしっかりやれば、ま た元の福島に戻るはず」、「一度福島を離れたら、もう戻る気はない」、「もともと 離婚するつもりだったから、地震があってちょうど良かった」などなど……。 このような人間業ではどうにもならない現状に対し、「福音には力がある!」、 「イエス様が答えです!」と力強く宣言し、神の国の拡大に努めることができる 最大のチャンスが福島にはあります。 アメリカ・ベテル教会牧師ビル・ジョンソンは次のように語ります。 「私たちの役目は、神が権威を任せるほど信頼に足る人になることです。神の 目的を果たし、正しい影響力をもって国々や諸都市、町々などを管理する忠実な 人になるのです。すでに与えられたものに忠実な人は、次第に多くのものを任さ れ、御国が広がるのを体験します」 (『励ます力』、ビル・ジョンソン、マルコーシュ・パブリケーション、p.155) 神の国は神の働きに忠実な「人」を通して広がる。 まさに、私たちの描いていることと同じです。 イエス・キリストの十字架の血潮と聖霊様による癒し、解放、自由が福島の未 来を導きます。 とりもなおさず、教会の未来です。