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キリスト愛の福音教会

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証し

イエス様に導かれて

2005年8月7日受洗
根本昌道

心の弱さ、自我防衛の弱さ、驕り、時には正義感や闘争心を強くするという短 所故に、いろいろな失敗や罪を重ねてきました。職場の“いじめ”や“不公平感” を感じ、肉欲に負けて体を傷つけ、四六時中耐え難い痛みに10 年余も苦しみま した。あちこちの病院や祈祷院(新興宗教)、職場の同僚に誘われて○○学会の 祈りの空間で、唱えたこともありました。結局、財産も失い、教員の地位も失う ことに。 今、思うとこのような人生の挫折と思える出来事が、神様のご計画に描かれた 御国に行くための軌道修正のためのものだったと思われます。「恵言紀」の3 人 姉妹の歌声をホテルハマツで行われたクリスマス音楽会に参加して聴いた経験 が、すべての行動の始まりの一歩だったと思います。私の場合、音楽伝道に導か れ、もう一度歌声が聞きたくて、教会の門を叩いたのがキリスト愛の福音教会の 一員になるきっかけだったのです。 坪井永人牧師から韓国の先生のお手紙を牧師室で拝見したり、坪井永光牧師先 生と一緒に聖書講読会(バイブル・クラス)を早朝の出勤途中や夕方時間を決め て行ったりしていくうちに、イエス様を信じる決意をして、2005 年8 月7日に方 八町の教会にて洗礼式を坪井永人牧師先生より執り行って頂きました。 バイブルクラスでは、放蕩息子の話が心に残りました。また、英語で五重の福 音を唱えたり、賛美をしたりしながら、常に先に先にと無理なく永光先生はリー ドして下さいました。常に温かい眼差しで、聖書の御言葉を引いて、それを根拠 に日常の問題の解決の方向を示して下さいましたこと、心に残っています。質問 をするとすぐに「聖書の○○を開いてみましょう。」という具合に。当時は、驚 きの連続でした。 このような経験から、私にはすぐにわかりました。そのお姿を見るにつけ、私 も自分自身が救われて、永光牧師先生が聖書を引用しておっしゃる「人間は、神 がお造りになられた、最高の被造物(創世記1:31、エペソ人への手紙2:10 他) としての役割をしていかなければならないな、と少しずつ感じるようになったの です。私は、誰もが命や魂が守られ、安心して身も心も置くことのできる安全な 居場所として、教会を考えていいのだな、と改めて気づかされ、とても嬉しく感 じるようになっていきました。 そこでイエス・キリストを自分の罪からの救い主として信じるきっかけになっ た聖書の御言葉はというと、以下の通りです。

「神は、実に、そのひとり子をお与えになるほどに、この世を愛された。 それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを 持つためである。」(ヨハネ福音書3:16)

「放蕩息子を出迎えた父の行動を記した御言葉」(ルカ福音書15:1~32、 特に18節、20~21節、30~32節まで)

「そのように神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。そ れは非常によかった。こうして夕があり、朝があった。第六日。」(創世記 1:31)

「即ち、神は私たちを世界の基に置かれる前からキリストのうちに選び、 御前で聖く傷のない者にしようとされました。」(エペソ人への手紙1:4)

「私達は、神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスに あって造られたのです。」(エペソ人への手紙2:10)

結果として、2005年8月7 日(日)にキリスト愛の福音教会にて洗礼を受けま した。その時感じたことは、「勇気が必要でかつ緊張したが、牧師先生の導きで、 正式に神の家族の一員になれて嬉しい。今までの、罪ある自分を捨てて生まれ変 われることができました。神の御心に添えるようにこれから務めを果たしていき たい。」ということです。 信じた結果、どう変わったかについてですが、5 つあります。

① 人間のこの世の争いや悩みの根本的な解決は、相当に難しい場合がありま す。人間のこの世の価値観ではなく、御国の神の価値観で生きることこそ、 真の救いであり幸福である、という気持ちになりました。

② 少しずつ、他人の言葉が真心から発せられたものであるかどうかの察しが つくようになってきたような気がします。その言葉を聖書の御言葉に照ら し合わせて考えたり、主なる神との対話を持ったりすることを意識して多 くするようになりました。

③ 他人の弱さや苦しみ、悲しみを、なおいっそうよく考えられるようになり ました。

④ 世の中の矛盾に対して、いっそう多角的な視点から考えられるようになり、 解決への第一歩を踏めるようになってきました。また、現在その努力を惜 しみなく実行しています。

⑤ 多くの人がクリスチャンのように優しく幸福な日常生活を送れる方法がな いか、と考える機会が多くなりました。 (伝道と奉仕への目覚め・気づき、そして実践のチャンスが多く与えられよ うとしています。)

【追記】 この「証し」は、2007 年のある第4礼拝で口頭発表したものを、加筆修 正したものです。その当時の私のメモに次のような2 つの内容が記してあ ったのが残っていました。

①「何度も何度も文章を見直ししたため、時間が思わずかかってしまった。」

②「文章を記している途中に、今は亡き母が『実家に帰る』と言って隣組 付近内を歩いて家を出て行き、徘徊してしまうというハプニングがあっ た。」